
幸福の構造と喜びの子 – ひふみ神示 解釈7
「解釈6」の続きです。前回まで"霊魂の構造"について書いてきました。今回はそこから導き出される"幸福の構造"と、ひふみ神示にある「喜びの子」や「罪の子」について考察します。今回も少しずつ読み進めながら最後までお付き合いいただけたら嬉しいです
「解釈6」の続きです。前回まで"霊魂の構造"について書いてきました。今回はそこから導き出される"幸福の構造"と、ひふみ神示にある「喜びの子」や「罪の子」について考察します。今回も少しずつ読み進めながら最後までお付き合いいただけたら嬉しいです
神様が本当に存在するかどうかは僕には分かりません。会ったことも、話したことも、見たこともないです。でも、だからと言って絶対に存在しないと決めつけることも出来ないので、存在するとして行動した方が僕は安全だと考えます。信じるうえで「神様の幸せっ
今回は「愛情」というものについて、現時点での僕自身の考え方をまとめました。人間が人間に対して持つ愛情という範囲内での考え方です。小っ恥ずかしく書いていきます。1.人間が持てる最大限の愛情は
世の中はモノとかサービスとか損得とか優劣とか勝ち負けだとか、たくさんの情報や選択肢や価値基準に溢れています。そこにある日常に身を置いた時、歩むべき方向性を見失ってしまいそうになります。でも僕はこう思っています。「人生が終わる本当に最後の瞬間
ブログの更新が1ヶ月空いてしまいました。またいつものように悩んでしまって、自分のやっていることは意味のあることなのかなとか、こんなことをしても何も変わらないだろうとか。そんな風に考えて、やる気が無くなっていました。
「何で生きなくちゃいけないんだろう、出来れば生きていきたくない」という感情でした。それは抜け出そうとしてもまた引き込まれてしまう蟻地獄のようなものでした。