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なぜ生きる

ブログの最初の記事がこのタイトルなのは少し重いかな。でもこの言葉が今の自分の原点でもあるし、このサイトを作った目的の一番目にくるものだから、最初にこの記事を書こうと思います。

ここに書かれていることは今までの経験の中でたどり着いた、現時点での考え方です。これから成長していく上でまた変化していくものだと思っています。それと、悩み方は人それぞれ違うものなので、悩む上での参考にして頂けると幸いです。ここに書かれていることが自身には関係ないと思う人はそれで構いません。でももし、今後生きていく上で生きる意味が分からなくなるような感情に遭遇した時は、この記事を思い出して読み返して頂けたら幸いです。

苦しめてきた悩み

高校卒業と同時に悩み始めました。原因は色々あったと思います。親の離婚であったり、夢と呼べるものが無かったとか、世界で起こっている争いにも影響を受けたし、貧困問題だったり、環境問題だったり、そこからくる未来に対する不安だったり、この記事と同じタイトルのある本を読んでしまったことだったり。はっきり「これ」と言える原因は分かりませんが、その時期僕はある疑問に飲み込まれました。

『なぜ生きる』

少し細かく言い換えると、「何で生きなくちゃいけないんだろう、出来れば生きていきたくない」という感情でした。それは抜け出そうとしてもまた引き込まれてしまう蟻地獄のようなものでした。

生きる意味を悩み始めて約8年間、僕は色々なことについて考えて、悩んできました。それを紹介しようと思いますが、うまく整理することが難しいので断片的なものを箇条書きで書いていきます。

・欲しいものはたくさんあるけど、全部は手に入らないし手に入れたとしてもどうせまた次のものが欲しくなって切りがなくなるんだろうから、もうこれ以上は別に何もいらないかな。

・今まで結構幸せだったし、もうこれ以上は求めなくてもいいかな。

・片一方では嫌になるほど物が溢れていて、片一方では生きていけないほど物が無くて餓死する人までいる。その状況を改善しようとする人達もたくさんいて、きっと少しずつ改善していっている。でも、このまま改善していったらどうなるんだろう?人口が爆発して資源不足、水不足、食糧難。僕らは冷静でいられるのかな。医療技術が発達して寿命が延びていけばもっとそれが加速する。もう考えるのも面倒くさい。全部あきらめてしまいたいな。

・働くのが面倒くさい。

・ニキビで悩むのが面倒くさい。

・子供を持てば、その子が暮らす未来に責任を持って生きていくことが出来るのかな。きっと僕には無理だろうな。

・どんなに頑張って生きていったとしても、きっとどこかにむなしさは残っていて、心の底から本当に幸せになることは無いと思う。

・人前が緊張するから、そういう場面が面倒くさい。自分の結婚式だってきっとそうだし、親の葬式だってきっとそうだろうな。薄情だな。そんな場面がくる前にやめてしまいたい。親の介護も面倒くさい。

・やりたい事はあるけど、特にはない。

・恋愛して結婚して幸せな家庭を持って。そんな願望もあるけど、自分の親も離婚してるし、世の中の大半の既婚者が言うように誰かを好きになって結婚しても、その後には色んな問題が待っていて、いがみ合ったり、別れたりする。そんなところに夢を描いてもしょうがないかな。

・生きていくことに決心出来ないでいるから、誰かと深く関わることが恐い。恋人だって欲しいけど、悲しませることになるかもしれない。

・「僕らの置かれたこの状況が、もしマラソンみたいなもので、誰かが一番になって誰かがビリになるものであるなら。一番後ろから見守るようについて行って、脱落しそうな人がいたら手を差し伸べて、ビリになる人がいないように僕が最後にゴールしよう」そんな、ちょっとカッコつけた言い訳を逃避の理由に使ってみたいな。

・本当に幸せになることはきっと無いのに他の命を犠牲にしながら生きていく価値はあるのかな。

・あと何回「やっぱり生きよう」という言葉を心の中で繰り返せば、最後まで生きられるんだろう。もう疲れたよ。

・戦争が無くなることはあるのかな。

・人間なんか地球上の他の生物からしたら、只々迷惑な存在なんだろうな。

・僕なんかが居ても世の中が変わることはないんだろうな。むしろ、いない方が人間一人分の環境汚染が防げるかな。

・虫が嫌いだけど、虫を殺す自分も嫌い。

・進歩していくっていうことは、きっと何かを手に入れる代わりに何かを失っていくっていうことなんだろうな。なんとなくその繰り返しが目に見えてる。目指すべきものってなんだろうか。なんだかむなしくなる。

・みんな辛いことも我慢して頑張っているのにな。それを踏みにじるような、馬鹿にするような考え方になってしまう自分が嫌い。消えてしまいたい。魂があるならそれも消してくれるように神様にお願いしてみよう。そうすれば、元々存在していなかったことに出来るかもしれない。そうすれば、みんなの記憶からも消えることが出来るかもしれない。

細かい悩みは他にもたくさんありましたが、僕自身の悩みの大部分はこんな感じのものでした。

これだけを読むとただの超マイナス思考なだけの人間に見えると思います。でも今、まだ僕が生きているということはそれ以上のプラス思考を持っているということでもあると思います。自分自身を納得させるための僕なりの答えを必死で考えてきました。こんな人間がどんな言い訳でまだ生きていこうとしているのか。次はそれを書いていきます。

二つの生きる目的

何かを達成することは素晴らしい、だけどそれと同時に犠牲にすることもたくさんあります。例えば、立派な家に住むという夢があったとします。頑張ってお金を稼いで家を建てる。それを実現すれば達成感もあって、きっと素晴らしい感情になるでしょう。でも家を建てるためには材料や土地が必要です。そういった部分でも犠牲は必ず生まれてしまいます。もしかしたら、その家の材料になった木を住処にしていた生物もいるかもしれませんし、建てた土地に住んでいた生物もいるかもしれません。

人間が感じる素晴らしいという感情は、ほとんどの場合何かの犠牲の上に成り立っています。表裏一体であるから難しい。それは生きる上で避けることの出来ないむなしさだと思います。

僕はこういったむなしさを「受け入れるべきむなしさ」と呼んでいます(ここで言うむなしさとは、苦しさ、悲しさ、無力感、喪失感、心にぽっかり穴が開いた感じ、違和感、モヤモヤ、心の中にある淀みのようなものなどをひっくるめて表現した言葉です。他にもっとふさわしい言葉があるかもしれないですが、今のところはこの言葉がしっくりきました)。
個人的には、生まれた場所、人種、性別、病気、障害、寿命があること、生きていくための仕事をすること、食べていくために他の命を犠牲にすること、他人と関わること、他人よりも優れていたいと思う気持ち、清潔でいるために環境を破壊すること、贅沢をしたいと思うこと、子孫を残したいと思うこと、大切なものを守るための攻撃性も必要なこと、生きていくこと、などがそれにあたると思います。まだまだ他にもありますが、思い浮かんだものを断片的に挙げました。

そして、もう一つ。「取り除くべきむなしさ」と呼んでいるものがあります。
個人的には、戦争、差別、偏見、格差、いじめ、自殺、殺人、過剰な欲望、家族間の問題、依存症やそこからくるトラブル、自分には価値が無いと思ってしまう心、楽しむ気力が無くなるほどの働き過ぎ、自分たちの居場所が無くなるほどの環境破壊、などがそれにあたると思います。こちらも思い浮かんだものを挙げました。これらはどうしてそうなるのかを考えて、対処していくこと行動することで克服したり、生まないように出来るむなしさだと僕は思っています。

どのむなしさを受け入れるべきなのか、どのむなしさを取り除くべきなのかをよく考えて取捨選択をする。その判断基準は人それぞれの部分と全ての人に共通する部分があるのではないかと思います。個人の中で家族の中で地域の中で地球の中でその折り合いをつけて、バランスを作り上げていく。

『受け入れるべきむなしさと取り除くべきむなしさとの間にある心地の良い居場所を一つずつ見つけていくこと』

これが一つ目の生きる目的です。
「恋人は欲しいけどいない」というむなしさを例に説明してみます。顔が悪い、体型が悪い、卑屈になってる、高望みし過ぎ、人を見下してる、自信がない、仕事が出来ない、頭が悪い、出会いがない、恋人を作るのが恐い、等々。多分、この悩みを持つ多くの人がこの中の複数を同時に抱えていて、この問題点の一つ一つがむなしさの中のひとつでもあるのだと思います。そこから何を受け入れて、何を取り除くのかを考えます。例えば、顔が悪いというむなしさを取り除きたい場合には今の時代は整形という方法があります。ただ整形を批判する人もいるので、その方法はその批判に晒されるというむなしさを受け入れるということでもあると思います。その批判も取り除くべきと考えて、それに向けて活動していく、あるいは許容された地域に行くのもいいかもしれません。または、顔が悪かったとしても他のむなしさを取り除くことによって恋人が出来て、問題が解決するかもしれません。

一つのむなしさを取り除くにしても色々な問題点の見方や解決の方法、新たに生まれてきてしまうむなしさなど、複雑に絡んできます。色々な矛盾との葛藤です。だから、面倒くさい。

そして「恋人は欲しいけどいない」というむなしさを「恋人は出来なくていい」ということで受け入れてしまえば、この問題自体が無くなります。それが今までの僕でした。でもやっぱりそれでは心地良くなかった。恋人といることや家族を持つことはさらに多くのむなしさや葛藤を生むかもしれない恐さもある。だけど、欲しいと思うその気持ちは抑え込まずに受け入れるべきなんだと今は思います。

数多くの対比の中で自分自身にとって心地の良い居場所を見つけるのは物凄く大変な作業です。もしかしたら、「深みのある人」というのは、その居場所を多く見つけている人なのかもしれません。そして、そういう人は自分以外の人や存在のそれを手助けするのも得意なのかもしれません。

ここまでは生きる上でのむなしさについて説明してきましたが、先ほど述べたようにその裏側には素晴らしさがあります。愛されて守られて育つこと、友達と遊ぶこと、何かを達成すること、旅行に行くこと、綺麗な景色を見て感動すること、素晴らしい映画を見て感動すること、贅沢をして満足すること、誰かを大好きになること、子供が生まれること、思うこと思われること、認めること認められること、楽しみな未来があること、生きていてよかったと思えること。

『人間として存在することのむなしさとその裏にある素晴らしさを置かれた状況の中でしっかりと味わうこと』

これが二つ目の生きる目的です。
世の中には色んな素晴らしさがあります。その全てを一生のうちに手に入れることは出来ません。また、生まれた場所、時代、肌の色、性別、性格、病気、経済状況、人間関係、等々。数多くの違いによっても手に入れられる素晴らしさは変わってきます。

置かれた状況の中でまず触れたもの、それを深くまで味わってみる。そして今度はその裏側にあるものを探ってみる。今、むなしさの深くにいる人はその裏側に素晴らしさなんか無いと思うかもしれません。でも僕はそのむなしさを知ることでやっと触れることが出来る素晴らしさがその裏側にあると思います。大事なのはむなしさから逃げないこと。自分自身の今の感情や状況がどこから来ているのか、どうすれば克服出来るのかをしっかりと考えて、立ち向かうこと。その裏側にある素晴らしさにたどり着くまであきらめないことです。

生きることの素晴らしさを味わったのなら、今度はむなしさを味わってみて、それも深くまで味わったのなら、また素晴らしさを見つけに行けばいい。その先に何が有るのか、それとも無いのか、はっきりとは分からないけど、それを繰り返す目的は

『感じとれる世界を広げる』

ということではないかと思っています。
僕も悩み始めてからの約8年間、むなしさばかりに目を向けてきたので、これからはまた素晴らしさを見つけに行こうと思います。

これから目指すもの

悩んできた僕ですが、何度も逃げてしまいたいと思っても、それでもあきらめずにここまで来れた理由はやっぱり家族だったり、友達の存在があったからです。突き放さずにいてくれたことに凄く感謝しています。

今、もしあなたの近くに悩んでいる人がいて、その人を助けたいと思うなら、ただ必要としてあげてください。一緒に遊んだり、断られてもまた誘ったり、話をしたり聞いたり、一緒に笑って楽しんだり、ありがとうと言ったり。面倒くさいと思うかもしれないし、なんだよってイライラすることもあるかもしれないけど、お願いします。みんなに当てはまるかどうかは分からないけど、僕自身は実際そういうところで助けられたのかなと思います。

「縁側でお酒」
これが、僕の目指す居場所です。夕陽が沈むところを眺めながら、縁側に座って、そこでちょっといい日本酒を飲めたら最高だなと思います。隣に大好きな人がいればもっと素晴らしいし、子供達が走り回っててもいいかな。走り回ってたと思ったら真ん中に割り込んできたりしてね。まあ、妄想は広がっちゃうけど…。飲むためのお酒だってそうだし、座るための縁側だってそう。その裏には色んな犠牲があって、むなしさがある。でも、やっぱりそこに幸せを感じてしまうし、その性は受け入れるべきだと今は感じています。だから、そういったむなしさの隙間にこそ感謝が必要なのだとも思います。そして、ちゃんと「幸せだなぁ」と感じることこそが「素晴らしさをしっかりと味わう」ということなんじゃないかと思っています。

不快だからという理由で虫を殺したりする自分も嫌だったりしたけど、嫌なものは嫌だし簡単に克服は出来ないから、もうしょうがない。人間様に逆らうのが悪い、ごめん!っていう感じで殺してしまいます。まあ、逆らっちゃいないんだろうけど…人間は残酷で高慢だね。それも今は受け入れて、もう少し気持ちを楽に生きていこうと考えています。克服も出来たらいいなとは思うけどね。まだまだちっぽけだからしょうがない。

おわりに

この記事はブログ最初の記事ですが、これからもこのブログを通して僕なりの視点で何かを発信していければいいなと思っています。小難しい感じで少しマイナス思考的なところはあるけど、そんな視点から…。

「なぜ生きる」とか偉そうなことを書いておいて、最後にこんな事を言ったら怒られてしまうかもしれないけど、本当に苦しかったら生きることから逃げてしまってもいいと思います。でも、僕は生まれ変わりみたいなものを信じているほうなので、死んじゃったあとはたくさん後悔して、そしてまた生まれて来ればいい。その時に生まれて来て良かったと思える世の中にするために僕はもう少しだけ生きて、もう少しだけ頑張ってみようかなと思います。

焦らずに無理せずに手の届く範囲で。

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