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『ゼロからの世界征服』- 恐怖やカネでは不可能だった「世界征服」を実現するただ1つの方法

今回は「世界征服の方法」についてです。これを読んで「自分も世界征服を目指してみよう」と思ってくれる人が増えたら幸いです(笑)。結構バカバカしい内容ですが、我慢して最後まで読んで頂けると嬉しく思います。

1.世界征服とは何か?

有史以来、数多くの歴史上の人物が企んできた「世界征服」。しかし、達成した者はまだ1人もいない…。
なぜだろうか?そもそも世界征服ってなんだろうか?

”世界征服(せかいせいふく)とは、国家あるいは団体が主に軍事力を背景に世界にある他の全ての国家を打倒して解体・併合を行うことで、世界及びそこに居住する全ての人類を自己の支配下に置くことを指す。実現は非常に困難であり、現実の人類の歴史において、世界征服を達成した国、人物は厳密には皆無である。” Wikipediaより

軍事力による解体と併合…。本当にそのアプローチしかないのだろうか?

懸命に考えました。そして、ある答えにたどり着きました。

2.「世界征服の定義」と「偽物の支配と本物の支配」について

世界征服の定義

どうなれば世界征服なのか、達成するとどういったものが手に入るのかについて定義したいと思います。

・やりたいことをやりたいときにやる
・欲しいものを欲しいときに手に入れる
・全人類を意のままに操る
・思い通りに世界を作り上げる
・全人類から崇拝される

この5つの項目が僕の考える世界征服の定義です。おそらくこの項目全てが後述する方法で世界征服を達成することによって、手に入れられるのではないかと思います。もし、これ以外のものを手に入れたい場合には他の方法を探してみて下さい。

支配の法則について

支配というものは支配したその方法によって、自らも支配される法則があるように見えます。つまり、恐怖で支配した人は恐怖に支配されて、カネで支配した人はカネに支配されるのではないかと思います。

恐怖によって他人を支配した人は、反乱を起こされるのではないか、側近にさえ裏切られるのではないか、と誰も信用出来なくなり、全てが敵になります。そして、夜も眠れないくらいの恐怖に支配されることになります。

カネによって他人を支配した人は、金や財宝、現代で言えば数字を求めるあまり、結果的にそれらに振り回されます。そして、カネの為に自らの人生を捧げることになります。「カネの切れ目が縁の切れ目」という言葉がありますが、それはカネによって他人を支配しようとし、そのカネにさえも裏切られた人の末路ではないかと思います。

これが支配したものによって支配されるという法則です。おそらくこの法則からは逃れられないのではないかと思います。(恐怖やカネが必ずしも悪い訳ではないです。身を守る為や犯罪抑止の為、生活の為や経済の流れを円滑にする為には必要なものです)

だとすると、自分は何によって支配されたいかが重要になってきます。人を支配できるもので自分自身も支配されたいものとは何か。ものすごく考えた結果、1つの答えにたどり着きました。

本物の支配について。誰も逆らえないどころか逆らおうとさえしない、強大な力

「本物の支配」とは何か、考える中でヒントを得たのは宗教でした。現在、世界中のほとんどの人が何かしらの宗教を信じています。そして、宗教を信じる人はおそらく、教えに従って規則に則った生活をしていれば「何か」を得られるはず、という前提で信じているのではないかと思います。僕が注目したのはその「何か」です。

多くの人が望み、祈るのは「家族が安全に暮らせて、食べ物に困らず、病気にならずに生活が出来る」などではないかと思います。つまり、「幸せ」と呼ばれるものです。それを全ての人に提供することが出来れば、この世界を征服することが出来ると考えました。正確に言えば、「幸せ」を得る為の「考え方」と「社会システム」の提供です。

この支配について、僕自身が感じたのは幼少の頃です。その時には分からなかったのですが、後になってからそれが「幸せ」による支配だということに気が付きました。思い出すエピソードとしては、親に「片付けしてくれたら嬉しい」と言われ、幼少の頃の自分はそれに応えるように頑張って片付けをしていた、という記憶があります。その時はおそらく幸せに支配されていて、両親の喜ぶ顔が見たかったから、そうしたのだと思います。

「幸せ」で支配するということはこういうことです。支配してくれた相手の為に頑張ったり、言うことを聞いて、相手を喜ばせる。そして、それが自分の喜びにもなる。誰も逆らえないどころか逆らおうとさえしない、強力な力です。浮き沈みがあり、常にその状態が続いた訳ではないですが、きっと両親もこの力で僕に支配されていて、家族みんな含めて互いに支配し合っているのだと思います。上下左右関係なく、互いに支配し合える力。これは一見小さい支配に見えますが、この支配を広げていけば、「恐怖」や「カネ」よりも強大な支配になるのではないかと僕は考えました。

「幸せこそが本物の支配であって、誰も逆らえないどころか逆らおうとさえしない、強大な力」

そう考えています。
「こいつ何言ってんだ?」と思う人はとりあえずそれで構いません。

支配の三要素について

現代社会において、大規模に人を支配しようとするときに必ず必要になるのが「恐怖」「カネ」「幸せ」の三要素です。疑問を抱くかもしれないですが、「恐怖」で支配するにしても「カネ」で支配するにしても「幸せ」の要素は必要です。例えば、命令に従っていれば幸せになれるだったり、側近にはより多くのカネを与えたり、高い地位を与えたりして、「幸せ(おそらく擬似的なもの)」を提供することで権力者は権力を保っています。

三要素の何を中心に置くかによって支配の仕方が変わってきます。「恐怖」中心の支配は、一部の人に「カネ」と「幸せ」を与えて、「恐怖」によって大勢の人に搾取や強制や制限をします。なぜなら、支配者たちが持つ以上の力が生まれてくるのが怖いからです。そのせいで、新しく生まれるものは少なくなり、栄えずに衰退していきます。

「カネ」中心の支配は、全体へのルールとしての「恐怖(法律など)」とある程度多くの人に「幸せ」を提供することで支配します。恐怖よりは繁栄していきますが、支配者たちは買いたいモノを自由に買えるようにする為、カネの価値を無理にコントロールしようとしたり、一箇所に集めようとします。そのせいで、カネの価値が崩壊します。恐怖よりは多くの人を幸せで支配しているので、また立て直すのは早いですが、右往左往でカネに振り回されてしまいます。なので、この二つの要素を中心に置いた支配は偽物なのではないかと考えます。

残ったのは「幸せ」中心の支配です。誰かが誰かを傷付けない為や怪我をしない為などに必要な「恐怖」とモノやサービスが円滑に行渡る為や発展していく為などに必要な「カネ」。この二つの要素を含めてバランスよく調和させることが出来るのは「幸せ」を中心とした支配ではないかと僕は考えました。

本物の支配を目指すべき

「恐怖」や「カネ」による支配は目標の達成が難しいうえに、達成して全人類を支配したとしても、監視しきれずにすぐに転覆してしまったり、コントロール出来ずに右往左往してしまいます。ハイリスクローリターンで達成までの苦労と達成後に得られるもののバランスが悪いように思います。現実的にはそこまで大きな支配は出来ず、表面的で小規模で短期的な支配しか出来ないのではないでしょうか。「恐怖」による支配は特に、今までの歴史をみても証明されていると思います。

「世界征服」を目指すのなら非現実的な方法ではなく現実的な方法で目指す方がいいです。「幸せ」による支配は心の底から人を支配し、感染するように広範囲に広がり、支配者の死後もおそらくその支配は続きます。リスクはあるかもしれないですが、「恐怖」による支配よりは格段に低く、達成後に得られるものも大きいのではないかと思います。ローリスクハイリターンです。「幸せ」によって本当に世界が征服出来るのか、それはまだ分かりません。ですが、試してみる価値はあると思います。

3.世界征服の手順とその後

カネ・コネ・ゼロから始める「世界征服」

まずは支配力の基となる、「幸せ」を得る為の「考え方」を鍛える必要があります。身近な存在を実験台にして、試行錯誤を繰り返し、少しずつ支配力を鍛えあげましょう。一緒に住む家族がいるのであれば、まずは家族を利用するのが最適かと思います。幸せというものが何なのかを研究して、まずは自分の家族を幸せで支配しましょう。家族との関係だけではなく、映画や音楽などの芸術からも学べることはたくさんあります。身近にあるものを存分に利用して、支配力を鍛えあげましょう。身近な存在さえも支配することが出来なければ、全世界を征服することは難しいです。家族が支配出来たなと感じてきたら、少しずつ支配の範囲を広げていって、ある程度の権力を持つことが出来たら、鍛えた「考え方」を基に「社会システム」の構築を行い、やがて全世界を征服しましょう。

ただ気を付けないといけないのは、途中で必ず「偽物の支配」の誘惑が邪魔をしてきます。人が集まってくると簡単にカネを集めたりできるので、そこに目が眩んで「カネ」で支配しようとしたり、言うこと聞かないと悪いことが起こるとか言って「恐怖」で支配しようとしてしまいます。一度、偽物の支配をしてしまった場合、信用を取り戻して本物の支配の軌道に戻すのは、なかなか大変です。気を付けましょう。

やりたいことをやり、欲しいものを手に入れるための「カネ」を集める方法

世界征服を果たしてしまえば、「カネ」は結構簡単に手に入ります。カネは一箇所に集めてしまうと価値がなくなってしまうので、必要な時に集めましょう。例えば、今の時代はアフィリエイト(<PR>日本最大級のASP!A8.net)というものがあります。全人類を支配した状態で「このプリンすごいうまい!」とかなんとかブログなんかでつぶやいたりすれば、その一回の投稿で集まるカネは1億円はくだらないと思います。1億円もあれば、豪華客船の世界一周クルーズにも行けるし、PS4を約2,500個も購入することが出来ます(プリンの在庫の問題があるかもしれない) 。これはほんの一例です。他にもまだまだカネを集める方法はいくらでもあります。

全人類を意のままに操り、世界を作り上げる方法

世界征服を果たしてしまえば、全人類を意のままに操るのも簡単です。「幸せ」で支配してしまえば、人々はその支配者の為に頑張るのが喜びになります。何かして欲しい、作って欲しいものがあれば、それをそのまま素直に伝えればいいと思います。従事者は最善を尽くして頑張ります。命令をした後は「感謝」や「褒め」の言葉を定期的に与えれば、思い通りに事は運ぶでしょう。中でも「ありがとう」という言葉は絶大な威力を発揮します。本当の支配者にこの言葉を掛けられた人は「もっと、もっと、いい働きをしてやろう」とハリキリます。

全人類から崇拝される方法

これは一番簡単です。全人類を「幸せ」で支配した瞬間から崇拝されます。言葉を発して命令する必要も、銃を持ち上げて突きつける必要もありません。そんなのは面倒くさいです。そんなことしなくても崇拝されます。

今がチャンス!

多くの権力者はまだ、全世界を支配できるのは「恐怖」や「カネ」だと信じています。彼らが偽物を信じている間に本物の支配力を身に着けてしまえば、世界を征服するチャンスは誰にでもあります。今がチャンスです。一番最初に一番多くの人々を「幸せ」にした人物が本当の支配者です。

4.今現在、「恐怖」で世界征服を狙っている方々へ

今やっていることで本当に望んでいるものが手に入るのか。必死でやっている(やろうとしている)ことが、場合によっては無駄な努力に終わってしまう可能性があるのではないかと思います。この文章が届くかどうかはわからないですが、届いた場合には、もう一度改めて考え直す機会にして頂けたら幸いです。

「恐怖」による支配はつまらない世界をつくる

「軍事力による解体と併合」で世界を1つに出来ると思っているのかもしれないですが、今後もし世界的な規模の戦争が起きれば、最終的に人間の姿はそこには無く、「人工知能×ロボット」対「人工知能×ロボット」の戦争になると予想できます。戦争は技術を発展させますが、あまりに急速で破壊的な発展は制御しきれず、文明さえも破壊して、さらには人間そのものを完全に消し去ってしまうかもしれません。核兵器がそのひとつの例です。今度はもっと悲惨なことになると思われます。ちなみに「人工知能×ロボット」対「人工知能×ロボット」戦争のその後は、「正義のスーパー人工知能×ロボット」がごく少数になった人類を救って、その「正義のスーパー人工知能×ロボット」を人類が崇め奉る時代がくるのではないかと予想しています(これはほんの冗談です)。だから、戦争はやめておいた方がいいです。きっと滑稽な結末が待っているだけです。

「恐怖」で支配してしまえば、得体の知れない技術や転覆を謀ろうとする思想を生み出されるのが怖いので、おそらく全てを監視下に置こうとします。そうなると、みんなロボットみたいに同じことしかしない、見たことあるようなものしか生まれてこない社会になってしまいます。なので、「恐怖」での支配はせずに「幸せ」で支配した方がいいです。そうすることで、新しい文化や芸術、技術、その他諸々色んな人から見たこともない様な色んなモノやコトが生まれてきます。

1つの組織や国や宗教の頂点ではなく、全人類の頂点に立つのであれば、ただ一色に揃えることはせず、多様性を許容して、それぞれの色で皆が混ざり合った、調和した世界の頂点に立つ方がよっぽどカッコいいと思います。全人類を一色に染めるのは、まだ誰かが反発してくれている間はいいですが、もし万が一、本当に世界が一色に染まってしまった場合、きっとやり飽きたビデオゲームくらい、つまらない世界になってしまいます。

「人類」の「頂点」に立つ、ということの意味について

何度も言うようですが、世界中の人々、全ての個人、それぞれにどんな可能性が秘められているかなんて分かりません。どんな才能からどんな文化や芸術や技術が生まれて、どんな風に世界が色付いていくのか。その可能性を最大限に引き出すにはどうしたらいいのか。それを考えて、実行して、楽しみにしていける人間が本当の支配者だと思います。

恐怖で支配してしまえば、そこにあるのはただ色褪せていく世界だけです。1つの組織、1つの国家、1つの宗教、自分と同じ枠組みに属するか属さないか、といった小さな規模の視点ではなく、その人がどこの誰であっても、どんな肌の色でどんな宗教を信じていても、共に過ごすときは同じ苦しみを苦しみ、同じ喜びを喜ぶ。もし間違いを犯したときは共に罪を背負って、どうしたら償えるのか、改めていけるのか、一緒に考えていく。その視点と器で世界を包むことの出来る人物が全人類の頂点に相応しい人物だと思います。「人類」の「頂点」に立つ、ということはおそらくそういうことです。この視点と器を持ち合わせずに「世界を征服した」「世界を掌握した」「自分が世界を操っている」と言ったところで、それはただ言葉にしただけの幻想に過ぎないと僕は思います。

「頂点」というのは全てが集まる点です。喜びも苦しみも含めて全てです。「人類」の「頂点」に立つ人物が人の苦しみを喜び、喜びを苦しみとするはずがありません。

おわりに

この記事を書くのは何回かやめようと思ったけど、やっぱり書きました。自分で読んでも「幸せで支配ってなんだよ。胡散臭い。」って思って恥ずかしくなるけど、おそらくこれ以外に方法はないです。まあ、「世界征服」のことを考えること自体が頭おかしいけど、こんなことで悩んでしまう自分がいるんだから仕方ないですね。受け入れるしかない。こんな個人ブログの記事で世の中は変わるはずがないと分かっています。病んでるとか、異常者だとか思いたい人は勝手に思っていてください。これからは結構現実離れした記事も多くなってくると思います。離れていく人もきっといるでしょう。それもしょうがない。

当たり前ですが、この記事に書いたことは僕自身の考え方です。自分としては正しいと思って書いていますが、間違えている部分もあると思います。考える機会にして頂けたら幸いです。

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