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いじめはなぜいけないのか。いじめは無くならなくてもいい。

photo by Rocpoc

前回の「いじめっ子が晒してしまう9つの恥」の続きです。いじめがいけない理由と、これからいじめを少なくする為にはどうしていけばいいのかについて、実体験も交えながら書いていきます。

なぜいじめはいけないのか

いじめる側、いじめられる側、その周りの人にとって、多くのマイナスを生んでしまうということが、いじめがいけない理由ではないかと思います。

「いじめる側」にとってのマイナスは、前回の記事で述べたような恥を晒してしまうこと。いじめている(た)人からの恨みを買ってしまうこと。思いやりがない人と思われることで、周りにその人と同じように他人への配慮をしない人が集まりやすくなることなどです。

「いじめられる側」にとってのマイナスは、人と接するのが怖くなって閉じこもってしまうこと。自分のことが嫌いになって、自分自身を傷つけてしまうこと。他人(社会)に恨みを持って、他人を傷つけてしまうことなどです。

「その周りの人」にとっての一番のマイナスは、いじめる側、いじめられる側、そのどちらも他人のことはどうでもいいと思う人になる可能性があるということです。つまり、自己中心的に利益を追求する人間や、他人を傷つけても構わないという人間が、増えてしまうということです。

いじめは完全には無くならなくてもいい

いじめを完全に無くすことが出来るならその方がいいのかもしれません。でも、人間はそんなに完璧ではありません。子供に教える前に大人でもいじめをするくらいですから…。前項の内容と矛盾するようですが、いじめの経験をプラスに変えて成長することも出来ると思います。

僕自身が自覚している中でいじめをしていたのが高校生の時です。内容は、周りに合わせてその子を避けたり、他の子に無視されているのをしょうがないと思ったり、その子に関する面白いネタを探して友達と一緒に嘲笑したりすることでした。自分の中でのいじめの原因は、その子が友達に”ツッコミ”をする時に思いっきり頭を叩いていたこと(他の子も叩いていたけど、その子は周りが引くぐらい思いっきり)と、自分が書いた文章を遠回しにバカにされたことです。僕自身がもっと成長した人間であったなら、自分が不快に感じる部分を「やめてほしい」と指摘することで、いじめが始まる前にその子は気付けたのかもしれません。でも、その時は言わなかった。理由を簡単に言えば、保身です。その子が周りとどのくらい仲がいいのか判らないし、生意気だと思われるリスクをその子の為に取りたくはありませんでした。その時に僕が晒した恥は主に自己形成の未熟さ自尊心の未熟さ問題点のすり替えです。

「いじめることによって自分の未熟さや小ささが分かります。いじめられることによって他人の苦しみや痛みが分かります。」

でも、いじめがエスカレートしてそれがいじめる側、いじめられる側、どちらにとっても一生背負うものになってしまう前に周りにいる大人が両者共を助けないといけないのだと思います。その見極めはとても難しいですが…。

いじめを少なくする為に

中学生の頃に僕もいじめられていました。無視というか会話に入らせないような態度をとられたり、椅子に画鋲を置かれたりするものだったと思います。記憶に残っているのはそんなような内容です。自分の推測では主犯というか意図的に僕をいじめのターゲットにしていたのは2人でした。いじめのきっかけと考えられるのは、主犯のうちの1人に遊びに誘われたとき、その時はあまり関わりたくなかった子(なぜか、後に仲良くなる)がメンバーにいたので、それを理由に遊びを断ったことです。余談ですが、その後は特定の個人に対する好き嫌いを人と話すときには注意するようになりました。

主犯の1人は優等生で、確か生徒会委員もやっていたと思います。成績も良く、容姿も比較的良く、スポーツも万能なタイプでした。推測ですが、その子は多分のしかかるプレッシャーが強かったのではないかと思います。自分自身に対するプレッシャーか、親からのプレッシャーか、それでストレスを溜めていたのではないかと思います。

主犯のもう1人は全く逆のタイプで、これといった取り柄がなく、いじめられている人を見つけて、さらに追い詰めるようにいじめるタイプでした。これもまた推測ですが、その子は多分コンプレックスが強くて、それがストレスの原因になっていたのではないかと思います。

いじめっ子になる人はほとんどの場合、心に何か問題を抱えているのではないかと考えています。僕自身も高校生の時に両親が離婚して、ストレスを抱えていました(言い訳ですが、主犯ではないです。自尊心を傷つけられて、こいつはいじめられてもしょうがない奴だと思った、ちっちゃな人間です)。

いじめもそうですし、どんな犯罪もそうですが、加害者がいなければ被害者は生まれません。被害者のケアも大事ですが、加害者が加害者になる前に救うことが出来ればそれに越したことはないと思います。実際にはいじめが行われた後の対処しか方法はないですが、問題が大きくなる前に対処出来ることはあると思います。いじめが行われた場合にはまず学校側からの注意をして、それでもいじめが止まない場合には注意のみではなく、ある程度強制的に「いじめっ子」や「その家族」のカウンセリングを専門のカウンセラーにしてもらうことが必要なのではないかと考えています。

学校の先生ではなく、専門のカウンセラーが必要だと思う理由は3つあります。1つ目は、学校の先生には人の心を診る専門の知識がないからです。それに教科を教えながら出来る範囲ものでもないと思います。2つ目は、それまで関わりのあった者どうしでは、フラットな気持ちで会話が出来ないからです。いじめが問題になったその時には、きっといじめっ子本人にしろ、その親にしろ、先生にしろ、相手に対する先入観を強く持っている状態だと思います。3つ目は、いじめっ子自身が相談し辛いからです。学校にいる先生に自身の心の問題や家庭の問題を相談することで、学校への行き辛さにも繋がってしまうのではないかと思います。

大人がやってはいけないこと

小学生の頃で記憶に残っていることがあります。確か3、4年生の時だったと思いますが、厳しいと評判の先生が担任でした。その先生は皆に厳しかったのですが、1人の子に対して特に厳しかったような記憶があります。その子が生意気だったからかもしれませんが、見た目をバカにするように「アンパンマン」というあだ名をつけて笑っていました。厳しい割には、そんなことをしてしまうような、大したことない先生なんだなと、子供ながらに思っていたような気がします。あまり好きな先生ではありませんでした。案の定というか何というか、その子は後にいじめっ子になって、中学生の頃に僕の親友をいじめていました。今になって思えば、その子に対するあの頃の先生の扱いが、少しは影響を与えていたのではないかと思います。

もう一つ思うことは、体罰のことです。規律や責任を教えることは重要ですが、それを恐怖や暴力によって教育するのは、受けた人にとってみれば、恐怖や暴力によって自分の考え方や価値観を他人に押し付けてもいい、ということを教育されているのと同じではないかと思います。暴力的に他人を支配するようないじめ方をするいじめっ子は、多くの場合、過去にそういった暴力によって教育をされた経験があるのではないかと推測しています。

「特定の子供を笑いの対象にしたり、逆にひいきをしたりすること」
「子供に対して恐怖や暴力で教育をすること」
この2つが、子供達のいじめを少なくするうえで、大人がやってはいけないことだと考えています。

もし僕に子供がいて、その子がいじめをしてしまった時は、頭ごなしに叱るのではなく、どうしていじめをしてしまったのか、親である自分にはどんな問題があったのか、謝るべきことがあるなら、たとえ自分の子供が相手でもしっかりと謝って、その子と一緒に悩んで成長していける親であれたらと思います。

おわりに

いじめを本当に無くそうと思うなら、世の中も、学校も、いじめはあって当たり前のものという認識を持つことも重要です。その上で、どう対処するのかを考えるべきだと思います。それでも、将来的にいじめが完全に無くなるかどうかは分かりません。でも、これだけは分かります。大人がいじめをするような世の中である間は、子供同士のいじめも無くなることは絶対にありません。

まずは大人から…。

こちらの記事も是非読んでみて下さい。「人をバカにしたくなった時に考えるべき5つのこと

参考・関連サイト、記事

サイト

いじめゼロを目指して
いじめをなくすために

記事

いじめについての考察
学校におけるいじめ問題に関する基本的認識と取組のポイント:文部科学省
この「いじめ対策」はすごい! – 森口朗公式ブログ
自分の子どもをいじめの「加害者」にしないために親としてできること | 女性の美学
いじめっ子・カウンセリングを!小学校低学年の娘です。いじ… – Yahoo!知恵袋
ないですよ。 逆に訊きますが、質問者さんは暴力や強制で「教育」することに賛成… – Yahoo!知恵袋
スイスでいじめ問題が生じたとき、生徒や親が行うこと | All About News Dig(オールアバウト ニュースディグ)

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