2015.05.02
いじめっ子が晒してしまう9つの恥
僕自身、人をいじめた事もいじめられた事もあります。その経験から思うことはいじめをする人は未熟だという事です。いじめられる側にも未熟さはあると思いますが、ここではいじめをする側に注目して、いじめっ子には何がまだ足りないのかを指摘していこうと思います。
1.自己形成の未熟さ
自分の考えをしっかりと持っている人は、周りに協調することの大切さと怖さを同時に知っています。
「みんながいじめてるから自分もやった」
自分の考えをまだ持たない人は、周りに協調することだけで安心します。
2.自制心の未熟さ
自制心のある人は、自分の中にある欲望と、それを叶えた時に失うものとのバランスを考えながら行動します。
「いじめるのが楽しかった」
自制心のない人は、欲望のままに動き、多くのものを失います。
3.自尊心の未熟さ
しっかりとした自尊心を持つ人は、それを誰かに傷付けられたとしても、自分自身の頑張りによって相手を見返します。
「あいつに恥をかかされた」
自尊心の未熟な人は、傷付けてきた相手を傷つけ返すことで、恥の上に恥を塗ります。
4.嫉妬心の間違った使い方
嫉妬心を正しく使える人は、自分自身を成長させる為に使います。
「調子に乗ってたからいじめた」
嫉妬心の間違った使い方をする人は、相手にしがみつき引き摺り下ろそうとする事で、自分自身を惨めにします。
5.問題点のすり替え
問題点を解決出来る人は、根本にある原因を突き止めて、改善します。
「ムカつくからいじめた」
問題点を解決出来ない人は、目の前にある不快を、ただ単純に排除しようとします。
6.想像力の不足
想像力のある人は、自分の行動が相手にどんな影響を与えるかを考えます。そして、さらにその先の自分自身への影響も考えて行動します。
「いじめてるつもりは無かった」
想像力の足りない人は、相手を傷つけるだけでなく、自分自身をも傷つけてしまいます。
7.支配力の履き違え
本当の支配力を持つ人は、多くの人にこう思わせます。「この人に着いて行けば、きっと成長出来る」
「言うことに従わせたかった」
本当の支配力を持たない人は、大体の人にこう思わせます。「面倒くせぇな。着いて行きたくねぇ」
8.器の小ささ
器の大きい人は人種、文化、価値観の違い、心身障害の有無、能力や容姿の個人差など、自分と他人との違いを多く受け容れる事が出来ます。
「キモい、うざい、汚い、KY」
器の小さい人は、受け容れる為の容量が足りないので、それが出来ません。
9.心の弱さ
心の強い人は、他人に頼ることはあっても、依存はせずに自らの力で悩みを解決します。
「ストレス解消だった」
心の弱い人は、他人に依存して、心の中にある痛みを相手にぶつける事で、自分の痛みを解ってもらおうとします。
おわりに
いじめをする人間は未熟で恥ずかしいです。でも、最初から非の打ち所がない人間なんて、きっといません。未熟さがあって当たり前です。僕自身もいじめる側、いじめられる側、両方を経験してどちらの立場でも気付いたことはありました。なので、子供のうちにこういった恥を晒してしまって、自分は未熟な人間だということを知っておくことも重要なのではないかと思います。つまり、いじめは完全には無くならなくてもいいのではないかと思っています。このことについて、次の「いじめはなぜいけないのか。いじめは無くならなくてもいい。」で詳しく書いていきます。